昭和という時代を彩った多くの芸能人たち。彼らの活躍は、当時の人々にとって欠かせない存在でした。しかし、気がつけばテレビや映画で姿を見ることがなくなった、そんな「いつの間にか消えた」昭和の芸能人たちがいます。今日は、彼らの中から特に印象的な7名を紹介し、その理由や背景について探っていきたいと思います。
藤谷美和子は、1970年代から1990年代にかけて数々のテレビドラマや映画で活躍し、特に朝の連続テレビ小説『心はいつもラムネ色』で一躍有名になりました。しかし、その後、彼女は「プッツン女優」という異名を取るようになります。この言葉は、彼女の奇行が原因でつけられたもの。例えば、2003年には突然タクシーで皇居に乗り付け、「宮様に手紙を渡したい」と1時間以上もタクシーに籠もるという騒動を起こしました。この一件で彼女は芸能界から姿を消し、以降はゴミ袋を持ちながら同じコースを歩き回る姿が目撃されるなど、現在の生活が謎に包まれています。
「東京ララバイ」という曲で一世を風靡した中原理恵は、1978年に華々しくデビューし、その年の紅白歌合戦にも出場。
しかし、その後は一発屋のレッテルを貼られ、歌手活動では大きな成功を収めることはできませんでした。しかし、バラエティ番組「ドリフの大爆笑」などで再ブレイクし、タレントとしての地位を確立します。不倫スキャンダルなどもあり、次第にテレビから姿を消した彼女ですが、引退後はビルメンテナンス会社を経営し、社長として活躍していたとされています。
島田陽子は、仮面ライダーや『我ら青春!』など、多くの作品で美貌と演技力を見せつけた昭和の代表的な女優でした。しかし、1988年、彼女はミュージシャン・内田裕也との不倫スキャンダルがフライデーに報じられ、その後の芸能活動が激減。さらに、巨額の借金に追われたと噂され、次第にメディアから姿を消しました。晩年には、ヘアヌード写真集やAVレーベルからのイメージビデオに出演するなど、話題を集めましたが、2019年に大腸がんのため逝去しました。
山口美江は、1980年代から1990年代にかけてCNNのキャスターとしてデビューし、バイリンガルタレントとしても活躍していました。特に、たけしの番組で司会を務めるなど、マルチに活動していましたが、1990年代後半にはその姿をあまり見なくなりました。その背景には、父親の介護が関わっており、彼女は芸能界を引退して父親の介護に専念することを決断。しかし、2012年に心不全で亡くなったというニュースが流れ、彼女の静かな最期が伝えられました。
「アダモちゃん」として知られる島崎俊郎は、1980年代のバラエティ番組で一世を風靡したキャラクター芸人。彼のアフリカ原住民風の「アダモステ」キャラは、特に『オレたちひょうきん族』で大人気を博しました。しかし、2000年代に入ると次第にテレビで見ることが少なくなり、自然に姿を消していきました。しかし、彼は芸能活動を完全に引退したわけではなく、舞台やYouTubeでの活動など、細々と続けているようです。
石原真理子は、1980年代の人気ドラマ『不揃いのリンゴたち』で注目された女優です。その後、1989年に渡米し、アメリカで生活する一方、日本では時折女優としての活動を続けていました。しかし、2000年代に入り、トラブル続きの私生活が報じられ、特に2017年には万引き騒動が大きなニュースとなりました。結局、彼女の芸能活動はその後途絶え、再び表舞台に戻ることはありませんでした。
最後に紹介するのは、声優界のレジェンド・神谷明です。『筋肉マン』『北斗の拳』『シティハンター』など、多くの名作アニメで主役を務めた神谷ですが、最近ではその声を聞く機会が減りました。特に『名探偵コナン』の毛利小五郎役を降板した際には、業界との摩擦が報じられました。しかし、神谷はその後もナレーションやイベント出演などで活動を続けており、完全に引退したわけではありません。
今回紹介した7名の昭和の芸能人たちは、それぞれが異なる理由で表舞台から姿を消しましたが、彼らの人生は一様ではありません。テレビや映画で見ることが少なくなった今でも、彼らが築き上げた功績は色褪せることはありません。